2013/10/06

心と体を整える 後編

前回の続き、やっと本題に入ります。

ここまで書いてみて、私にとって瞑想合宿がとてもよいものだったのは、
そこに至るまでの自分の状況があったからこそなのだと、再確認。
そこで私がすっかり変わって帰ってきた理由は、
他でもない、自分が変わるつもりで行ったから。
それに尽きるのだな、と思いました。
自分の感情に振り回されない、もっと強い心を持ちたい。
現実から目をそらさずに、しっかり受け入れられるようになりたい。
今のままではまた妊娠できても、自信を持って出産に臨めない。
自分を変えて、次の段階へ進みたい!
そんな、強い、強い気持ちがあったのだと思います。

さて、ヴィパッサナーの瞑想合宿でどんな経験をしてきたのか。
これは人によってそれぞれが本当に全く違った経験をしていると思います。
すべて書こうと思うと長すぎてとても書ききれる気がしません。
実際の瞑想の方法に関してはあまり触れずに、
(一度行ったくらいではどこまで理解できているか定かでないので)
私がどう感じたのかを中心に書いていきます。
今回はさらに、本当に本当ーに長いです。
ご興味のある方だけ、どうぞ。


ヴィパッサナーの瞑想合宿には
10日目の朝まで、聖なる沈黙と言って、
誰とも口をきかず、目も合わせてはいけないという決まりがあるのだ。
(でも、集団生活、というとても不思議な状況)
携帯電話も預けるので、もちろん外界との接触も一切なし。
生活の中で困ったことや、必要なことがあれば、
ボランティアのマネージャーさんがいて、その方と話をすることはできるし、
瞑想の指導者の方との面談の機会なんかも設けられていて、
瞑想法に関することである限り、質問をすることもできる。
でもそれ以外は一切コミュニケーションなし、という
10日間は完全に自分の内側と向き合うことができる状況なのだ。
現代の日本に生きていて、まるまる10日間も他人との接触なく
自分のことだけを見つめていられる時間がもてるなんて、
それだけでものすごく貴重な経験じゃないかと思う。

瞑想自体に関しては、私は、とにかくとにかく体が痛かった!
あぐらをかいて、ただただ坐っているだけで、
こんなにも体が痛むのか、というありえないほどの痛みが、足のそこここに。
骨のねじれる感じの痛み、というのかな。
小さい頃から斜め座りでいつも片一方に足を流すという
偏ったかたちでずっと座り続けていたので、
(実家の居間は和室で畳に座る生活だったのだ)
骨盤や足の骨に変な癖がついていたのだと思う。
たぶんそれが原因。(と、2日目くらいに思い至る)
痛んで痛んでしょうがない。
でもそこで、こんな機会はもうないぞと奮起して、
瞑想中はわざと痛みの強いほうの足の組み方で
あぐらをかいて坐ることにしたのだ。
痛みの出にくいほうで坐り続けると変な癖や歪みが
さらにひどくなるような気がして、
それは困る、と思ったのでした。(貪欲…)
これのおかげで本当に、修行してる!しかも苦行!という感じだった。

不思議なもので、あんなにも痛かったのに、
それでも坐って観察し続けると、痛みが消える瞬間、というのがあるのだ。
足だけじゃなく、背中のほうにあったしこりのようなものも、
(私は子どもの頃から背骨も歪んでいたのだ)
あ、なくなった、と感じたこともあった。
ヴィパッサナーは自分の体を観察するという種類の瞑想法なので、
毎日毎日ただひたすら、自分の体と向き合うのだ。
いろんな感情の湧き出てくる人も多くいるようだが、
私は感情的なことよりも、体の反応がすごかった。
日々、いや、一瞬一瞬、体の状態が変わってゆく、という感じ。
こちらの痛みが消えると、次はあちら、とめまぐるしかったが、
毎日、どんどん軽くなっていくのを感じた。
心も体も、どんどん軽くなる。

初めにも書いたけど、これは誰もが同じように感じるわけではないらしい。
10日目に沈黙が破られた後に、一緒に生活して瞑想してきた周りの人たちと
話をすることができるようになるのだが、聞くと、
みんなそれぞれにいろんな経験をしていたのだなとおもしろかった。

この、痛みを自ら進んで受け入れる、という状況が
私にはとても意義のあることだったのではないかな。
普通は痛いことって、できれば避けたいもの。
ほとんどだれだってそうだと思う。
苦しさに耐えてフルマラソンを走りきるというのと似たような状況かもしれない。
自分がやめようと思えばすぐにやめることもできるんだけど、
自分で決めた目標達成のためには、やめるわけにはいかない。
この瞑想合宿での経験を、何が起きても自分の体で実感するんだと決めて
参加していたので、痛みにも耐えることができたのだ。
日常生活では、耐えなくてもよい我慢というのが多々あると思うけど、
どうしても耐えなきゃいけないここぞという時っていうのも、確かにある。
あとは単純に、この痛みの先には何があるのだろうという
好奇心が勝った、ということもある。

話は戻るけれど、これは出産に対する
自分自身への信頼と自信につながったのでした。
要は出産も同じことなんじゃないか、と。
(もちろん、もっとすごい痛みが待っているとは思うけど)
ものすごい痛みに自らの意思で耐えて、最後までやりとげる。
痛みを進んで受け入れるという姿勢が同じ、そんな気がした。
私、もう大丈夫だ。そう思ったのだ。
自分でそう思えたことが一番の収穫だったのだと思う。

軽い軽い、なんて身軽!と思っていたら、実際に体重も軽くなっていた。
参加前からマイナス5キロくらいかな。
中学生の頃から、那須に引っ越してくるまで保っていた体重と
同じくらいに減っていたのでした。
那須に来てから生活が変わったせいかどんどん重くなって、
ピーク時にはプラス5、6キロだったのではないかな。
そりゃあ体も動かなくなるし、疲れやすくもなるってものだ。
人それぞれ一番体の調子のいい体重というのがあると思うのだけど、
しばらくの間私はそれをずいぶん超過していたのだな、と。
短期間で軽くはなったのだけど、体の調子が狂うこともなくすこぶる快調。
不健康に痩せたというのではまったくなくて、
やっと本来の体重に戻った、という感じだった。

ちなみに、合宿参加で太っちゃった、という人も中にはいたよう。
一日中瞑想をしているので、消費カロリーはたぶんあんまり多くない。
運動は禁止されているので、体を動かすのは休憩時間の敷地内での散歩くらい。
そこにきて、ごはんがおいしいのだ、これが。
玄米菜食(白米も選べる)で、献立も凝っていて、
バランスがよく、味付けもいい。
これもボランティアさんが作ってくれて、
私たち参加者は用意してもらったものを
自分の好きなだけよそって食べることができるのだ。
食事だけが唯一の楽しみ、という状態になるのである。
それで、ついつい食べ過ぎてしまう人もいたようす。
私は日が進むにつれ少しの量で満足できるように
体が変わっているのがわかったので、
おいしいけれど、少しずつ食べるようにしていたのだ。
食べ過ぎると苦しくなるからね。

瞑想以外の、毎日の生活もとても楽しいものだった。
なにしろ、環境がいいのだ。
山間の、施設の建物以外には人工物のほとんど目に入らない静かな場所で、
朝は日の出前の4時に起きて、夜は9時過ぎには就寝という毎日。
人と話すこともないので、自然の変化にものすごく敏感になって、
月の満ち欠けや、星の見え方、太陽の昇って沈む場所や時間。
寒くなり始めの季節だったので、太陽の光のありがたさといったら!
日の出を待って、日の光で体を温めたことが幾度となくあった。
お昼の休憩には、外のベンチでごろんと横になって、
ぶんぶん飛び回る虫の羽音を聞きながらの日光浴。
足にとんぼがとまったりもするのだ。
センス・オブ・ワンダー!という感じ。

毎日そんなことを肌で感じながら生活できるのだ。
たとえば農家の人はこうやって日々自然の移り変わりを感じながら
生活しているのかなぁ、と思ってみたり。
洗濯機は使えなくて、脱水機能のみ使用可能なので、
晴れた日を見計らって、休憩時間に手洗いで自分の洗濯物を洗って干す。
トイレもシャワーも洗面所も、キャンプ場くらいの手作りの設備で、
宿泊場所(テントも選べる)からいったん靴を履いて外に出て、
暗い道を少しだけ歩いていかなくてはいけない、という、
なんとなく、バックパッカーとか、アウトドア体験のような生活だった。
一泊二日のキャンプなんかだったら子どものころに行ったことがあるけど、
こんな環境で12日間も自力で生活するなんて、未知の体験。
これがまた、よかった。
お風呂なんて涼しければ毎日は入らなくても平気だし、
知らない人と雑魚寝でもちゃんと寝れるし、
手洗い洗濯もやってみるととても楽しい。
こういうの、私は結構平気だったんだなぁ、
意外とたくましいじゃないか、って、
今まで知らなかった自分も発見できたりして。

とまぁこんなことが、この合宿生活に参加してよかったことである。
瞑想そのものだけがよかった、というわけではなくて、
この合宿での生活を経験できたということ自体がすばらしかったのだ。
悪かったことは、特に思い当たらない。
(ここに書いたことはすべて、その時の私はそう感じたというだけで、
誰もがそう感じるかというと、そうではないかもしれない。
そこのところ、くれぐれもご注意くださいね。)


金銭的なことに関しては、なんとこの合宿、
すべて寄付でまかなわれているというのだ。
自分で自分の受けた恩恵を鑑みて、
いくら寄付するのかを決めることができるのである。
私はもちろん、すばらしい恩恵を得ることができたので、
そのときの自分のできるだけの寄付をして帰ってきました。
単純に、12日分寝食をお世話になったわけですし。
ツインヒルズA棟の一ヶ月分の家賃よりもう少し多いくらいの額を
(わかる人には、わかるね)お支払いしました。
手持ちがあったらもう少し納めたい気持ちがあって、
実際振り込み用紙ももらって帰ったのに、
帰ってきたらそのままになってしまいました。
(これは私のとてもよくないところだ)

瞑想合宿参加から早くも一年経とうとしているけれど、
あの時、行っておいて本当によかった。
こういうものは合う合わないとか、
タイミング的なことがとても大きいので、
誰にでもおすすめするわけではありません。
でもどこかから話が耳に入ってきて、
(例えばまったく別の知り合いを通して
何度か聞かされたから気になってしまって、という人もいた)
行ってみたいという自分の気持ちが強くて、
家族の理解や長く休みが取れるなどの、行ける状況が整っているのなら、
行ってみたらいいんじゃない、私はすごくよかったよーと話している。

もともと悩まない性格(すんごく考えるけど、悩まない。
悩むと考えるは、根本的に思考の方向性が全然違うのだ。)に拍車がかかって、
今ではとても気楽で穏やかな毎日を過ごしているわけです。
考えることすら少なくなったような気がする。
タケシくんが言うには、全然怒らなくなったらしい。
体も、基本的にはすこぶる快調。
(と、言いながら体調不良でお店を休んだりしているわけは、
また後日お話ししたいと思います。)
相変わらず冷えは大敵、冷えるといいことがないので
冷えとりだけはしっかりやっているかな。
家での瞑想はたまに少しするくらい。
それでも、体も心も一年前とは比べものにならないほど
整ってきているのを実感しているのでした。
列車のレールが、がっしゃんと切り替わった、そんな感じ。
後は自然の流れに身をまかせていれば、心配いらない。
私の心と体が整ってくることで夫婦の関係も、
離れて暮らす両親との関係も、
それまでよりもさらによいものになっています。
自分が変わると周りも変わるって、本当に本当なんだなぁと思うわけでした。

以上が、私のヴィパッサナーのお話である。
やれやれ、長かったー。
とっぴんぱらりのぷぅ。